第5回取材旅行 
渡航国 チュニジア
訪れた街 チュニス トゥズール ドゥーズ スース スファックス カルタゴ 他
期 間 2013年2月18日(月) 〜 2013年2月28日(水)
言 語 アラビア語 フランス語
通 貨 チュニジアン・ディナール
航空会社 カタール航空
アクセスルート 往路 成田空港 →12時間→ ドーハ国際空港 →6時間30分→ チュニス カルタゴ国際空港
  復路 チュニス カルタゴ国際空港 →5時間10分→ ドーハ国際空港 →9時30分→ 成田空港
泊まった宿 チュニス Hotel Tiba,

第5回目の取材地はギリシャ。・・・だったのですが、 破綻寸前の財政を立て直すための緊縮案に怒った国民はゼネストを頻発し、 これでは行ったところで交通機関はマヒしている上に、飲食店も休業中・・・か?  というわけでプランBはチュニジアです。 2010年に起こったジャスミン革命発端の地とはいえ、 怒りの矛先を向けられた独裁者のベン・アリー大統領はサウジアラビアに亡命し、 選挙で選ばれた国会議員が民主的な憲法を制定しようとしているところ。 であれば、治安の心配はいらないはず。・・・でブッキングを始めました。 ところが航空券や宿の手配が終わった直後、野党のリーダーが暗殺され、 事態は微妙なムードに・・・そこで現地の旅行代理店に問い合わせてみると、 回答は「治安に問題はありませんよ」。では・・・行ってみましょうか!

今回もウルトラCの出発です。ランチの営業が終わってすぐにお店をシャットダウンし、 18時に野方駅を出発しました。新宿発成田エクスプレス51号は18時39発。ふ〜・・・なんとか間に合ったか! これから車内でお昼ご飯です。お腹空いた!

今回お世話になったのはカタール航空さん。
22時半に成田空港を発ったQR805便がドーハ国際空港に到着したのは翌日の4時半。 まだハマド国際空港が開港する前の空港です。 イギリスのヒースロー国際空港のようにターミナルがサテライト状に配置されており、 ターミナル間はバスで移動しました。 飛行機から出た時に吸い込んだ早朝のアラビア半島の空気はしっとりしていて気持ちが良かったなぁ。 朝焼けがきれいです。

チュニスへ向けたQR225便は予定通り8時25分にテイクオフ。
長いナイトフライトの後でも、ともこさんは食欲旺盛です。実際、アラブ飯の機内食は美味しいのですよ。

アラビア半島を横切った飛行機は地中海の上へ。 チュニスまでのフライトタイムは6時間半です。 アフリカはやっぱり遠い。もうひと眠りしますか。

無事にやって参りましたチュニジア!
ここはハビブ・ブルギバ通りの西端に位置するバブ・ブハル、別名フランス門の前です。 で、心配だった治安は・・・確かに今のところ何事もありませんね。 しかし内務省などの建物の前には有刺鉄線のバリケードが・・・

ハビブ・ブルギバ通りの夜。
チュニジアと言えばイスラム教が国教。 しかしながら、ムスリムの国で唯一、一夫一婦制であり、女性からの離婚申し立てが憲法で保証されているなど、 もっともリベラルな思想でも知られています。 それはこんなところでも分かりました。仕事帰りと思しき女性が夜でも1人で歩いているのをしばしば見かけるのですよ。 それだけではなく、カフェで談笑する姿さえありました。 これはアラビア半島ではあり得ないでしょうし、モロッコですら見かけませんでした。 同じ宗教でもこの温度差は興味深いですね。
チュニスで泊ったローカル御用達のホテル。
予算的に見て中堅クラスでしょうか。 「Wi-Fiはありますか?」とフロントで訊いたら答えはイエス。 しかしインターネットに接続は出来ません。 DOS窓を立ち上げてtracertコマンドを叩いてみれば、 アクセスポイントからルータまでは抜けますが、 その先でNo reply。ん〜・・・旅先ではよくあることですが、 「Wi-Fiがある」と「Wi-Fiが使える」というのは別のことなんですよね。 ともあれそれ以外は僕たち基準でまずまずのホテルでした。
フランス門から南へ少し入ると中央市場があります。 その周辺は様々な商店が立ち並ぶ地元向けの繁華街。 素顔のチュニスが垣間見れる地域です。歩いているだけで楽しい。

取材旅行の度にそれぞれの実家へ絵葉書を送っているのですが、 郵便ポストも国によって様々。 チュニジアは黄色ですね。

いよいよチュニスのハイライト、メディナへ入ります。 以前、モロッコのマラケシュにあるメディナをご紹介しましたが、 規模こそあれほど大きくないとはいえ、ここも入り組み方は複雑です。 所々でモスクの尖塔を目印に歩くのですが・・・
こうした通路に入ってくねくね曲がると、もう「ここは誰?わたしはどこ?」の状態に。
さながら宝探しのようですが、僕たちのお目当ては金銀財宝ではなく、 こうしたローカル食堂。ん〜・・・いい雰囲気じゃないですか。時刻もそろそろお昼。それでは入ってみましょう。

さっそくお宝がありました!  今回の取材候補の筆頭になっているチュニジアンタジン。 タジンと言えば、モロッコ料理のタジン鍋料理を思い出しますが、 チュニジアでタジンと言えば、ご覧の通り、スパイシーなキッシュと言えそうなもの。 これが想像以上に美味しい! チュニジア料理特集で紹介することに即決定!

満足してお店を出たものの、もう一度市場に行こうとしたら、また迷ってしまいました。 この道はどこへ通じているんだろう?
太陽の位置や、コンパスを頼りに進んでも、通路が細くてくねくねしていますから、 またすぐに現在位置を見失ってしまいます。
ふぅ〜・・・結構歩いてようやく戻ってまいりました。まずは野菜売り場からチェックを始めましょうか。新鮮な野菜がぎっしり並んでいます。売り手の掛け声がいい感じ。

スパイス売り場で交渉中のともこさん。 相変わらず根切が激しい。しかも日本語だし・・・でもちゃんと値切っている所はさすが。ゴメンね、お兄さん。

見て下さい、この美味しそうなオリーブ!  取材中の悲しさは、こうした食材を買って帰れないことです。 日にちがあれば、あれこれ買い込んで宿で自炊する、というのも出来るのですけどね。

スイーツならちょっとは食べられるかな?  少量にも拘らず、おじさんは快く売ってくれました。

うぁ〜、ダメだ! 宿へ帰ろうと思ったら、また迷ってしまいました。 でも、こういうのが新しい発見に繋がっているのです。

ディナーはホテルのすぐ近くにあったこんなレストランへ。

日本と違い、外国のレストランのホールは大抵オヤジです。
いい感じでしょ? 彼がサーブしようとしているのはラムの壺焼きです。ん〜・・・いい匂い!

今夜のディナーはラムのつぼ焼きとシーフードのトマトソース煮。 しかしメインが出てくる前に、オリーブとチュニジアンハリッサでパンを食べていたら止まらなくなってしまいました。辛いもの好きにはたまりません。

翌日は電車でカルタゴまで。小雨がぱらついてきたので博物館で見学がてら雨宿りです。

天気が回復してきたのでチュニジアンブルーと白亜が眩しい街、シディ・ブ・サイドへ移動。 老舗のCafe des Nuttesでミントティーを飲みながら一休み。靴を脱いで寛ぐアラブ式のカフェは実に居心地がいいですね。

如何です? 美しいでしょう? 向こうに見えるのは地中海。 あの水平線の向こうにはイタリアのサルディニア島やシシリア島があるのです。チュニスがアフリカと言うよりヨーロッパっぽいのも頷けますね。


シディ・ブ・サイドではこの扉を見て歩くだけでも楽しめます。 それぞれ微妙にデザインが違うのですよ。 打ち込んだ鋲で描かれた文様は何を象徴しているのでしょう。 じっくり調べてみるのもいいですね。


昨夜も食べたチュニジアンハリッサ。 あまり香りは強くなく、中辛のトウガラシにガーリックを加えて練り上げたものです。 同じマグレブ地方のハリッサとはいえ、フルーティなモロッカンタイプとは別物。 これにオリーブオイルをドバっとかけ、オリーブを添えてサーブします。 シンプルなのですが、これをアラブのパン、ホブスに付けて食べると、かっぱえびせん並みに止まらなくなります。 取材でメインを食べなければいけないのに・・・困りました。

前菜の定番はチュニジアンサラダ。 小さめに刻んだトマト、キュウリ、玉ねぎなどの野菜にオリーブとツナを加え、 オリーブオイル、ビネガー、塩で和えたもの。 さっぱりしていて食欲が目覚めます。
ブリック。フィロ(薄いパイ生地)で生卵やポテトを包み、カラッと揚げた料理。 ナイフを刺すと半熟の卵がトロ〜り溶け出してきます。 そのまま食べてもよし。ハリッサを付けてもよし。 この料理はトルコ発祥と言われており現地ではブレクといいます。 バルカン半島にも広く伝わっていて、ギリシャ、マケドニア、セルビアでは、 どちらかというとチーズパイのようになっていたので、チュニジアのものは異色でしょう。 人によってはこれをギョーザの一種にカテゴライズするケースもありますが、 関連性こそ否定できないものの、個人的にはちょっと無理があるかな? と考えています。ともあれイケるね、これ!
今でこそワインの名産地と言えばフランス、イタリア、スペインなどの名前が挙がりますが、 時代を遡ればローマを始めとするヨーロッパの国々がワインを作り始めるきっかけになったのがこの国。 当時はチュニジアではなく、カルタゴと呼ばれていましたけどね。 中でも有名なのは全28巻にもなる大著の農業書を記した農学者のマゴン。 この『マゴンの農業書』がラテン語、ギリシャ語に翻訳され、ヨーロッパの人々はブドウとワインの作り方を学んだそうな。 どうりでこの人の名がチュニジアでは今でも有名な訳です。 チュニスのレストランで「ワインが飲みたいのですけど」と言うと「マゴンでいいか?」と聞き返されるのですよ。 で、彼の名を冠したこのワイン。なるほど美味しいです!
ポピュラーなシーフード料理のオジャ。 小エビを中心とした魚介類とオクラをスパイシーなトマトソースで軽く煮、 生卵を落として半熟のままサーブします。 脇役ですが、出汁のきいたこのソースにホブス(アラブのパン)を浸して食べると最高です。 食べ終った時にはお皿がピカピカ。
チュニスには手頃な価格で楽しめるいいレストランが沢山あります。 基本的に言葉はアラブ語とフランス語ですが、こうしたお店では英語もまずまず通じました。 (ローカル食堂では英語のメニューこそあれども会話は期待できません)
現地の人がお酒を飲むところを見ていると、さすがにイスラム教が国教とはいえ、 最もリベラルなお国柄であることが分かります。 しかしながらこうした飲食店に出入りしているのは男性が殆ど。 カフェならともかく、お酒を出す店には男性同伴以外で女性客を見かけたことはありませんでした。

チュニジアでは時間がないと公共の交通機関を利用しての旅が難しいため、 ここからは車をチャーターし、南部の砂漠地帯へ向かいました。 そう言えば旅行代理店も英語が殆ど通じず、話の出来る店を探すだけで足が棒になりました。 僕たちがお世話になったのは Batouta Voyages 。 英語が通じるだけではなく、社長さんは電話で話したら日本人と間違うくらい流暢な日本語を話すではないですか!  何故かと訊けば、日本の大学に留学し精密工学を学んでいたとのこと。 更に、それでなぜ旅行業を? と問えば「だってチュニジアじゃ、そういう仕事がないでしょ?」 なるほど。 で、僕らは少々ガタが来た4WDに乗り込み、一路南へ。 走り始めてすぐあたりの景色はオリーブの林にブドウ畑になり、 それが1時間も経つとナツメヤシへと変わりました。 そして3時間ほどでご覧の通りの荒野へ。

こんなところに人が住めるのかしらん? と素朴に思いますが、
谷を降ると湧水が流れるオアシスがあります。 水とは命そのものなんだな、としみじみ感じます。 冷たい水が美味しかった!

チュニジアの南部はサハラ砂漠の東端。 まだこの辺では砂漠と言うより、ご覧の通りの峩々たる荒野ですね。 僕たちは自動車で安全に移動していますけど、 水もなく、こんなところにホッぽり出されたら長くはもたないでしょう。美しいけれど、ちょっと怖い。

チュニスからカイロアンまで南下し、そこから西へ折れてアルジェリアとの国境の街ミデスへ。 あの丘の向こうはもうアルジェリアです。 折しもイナメナスで天然ガス処理プラントがテロリストの集団に襲われ、 日本人を含む多くの犠牲者を出した事件が発生してからまだ日が浅く、 夜間は少々物騒だとのこと。僕らも明るいうちにさらっと通過しました。

手前に見える集落は、数年前に鉄砲水に襲われ、今は廃墟になってしまったとのこと。中には行ってみたい気がしますが・・・ま、止めておきましょう。

映画『イングリッシュ・ペイシェント』のロケ地にもなった荒野と深い谷。 神の手による芸術作品のような光景です。

チュニジア南部への旅の初日はトズール(Tozeur)で一泊。

宿は中東っぽいファサードのこんなところ。 4WDをチャーターした旅行代理店に「安いホテルね!」とお願いしていたのですが、 コストの割にはとてもいい部屋でした。

土地勘がなく、あまり遠くまで行くと迷いそうでしたので、 一番近くのレストランに入ってみました。

自慢ではありませんが、 僕たちの直感で美味しい店を探す才能はなかなかのものなんですよ。 ま、そうでなくてはこんな商売やっていられませんけどね。 このレストランも当りでした。これはベルベルピザと呼ばれるちょっとスパイシーなクレープ。
ん〜・・・砂漠の香りがします。


翌朝はまずトズールの中心部へ。なんだかワクワクしてきました。

観光地とは言えませんが、こうした路地をぶらぶらするのは本当に楽しい。 自分だけの思わぬ発見があったりします。 時間があったらもう数日滞在したかったですね。

さて、時間は限られています。 お目当ての市場で食材のチェック開始!  オアシスの街なので新鮮な野菜が豊富です。 サラダにするだけでも美味しそう。

ラクダの生首。いや、デビット・リンチ監督がロケをやっているわけではありません。 お国柄でラクダも食べるのです。で、このサインは「新鮮なラクダ肉がありますよ〜」という意味。 そう言えば路上の肉屋では、ラクダの生き皮が吊してありました。 その横には生きているラクダが・・・

トズールは日干し煉瓦でも有名です。積み上げた際の凹凸を上手く利用して、 独特な文様を描くことがあり、それを調べるためだけでも、もう一度来たいですね。

トズールから南東に進むと、そこはやがて見ての通りの光景に。 ここはアフリカ最大の塩湖、ショット・エル・ジェリドです。 横断道路を15キロほど進んだところで砂嵐につかまってしまいました。 あれは恐ろしいものですね。 僕たちは車の中に居たからいいものの、 外だったら全く身動きが出来なかったと思います。 いや、よしんば動けたとしても方向が分からないので進みようがないでしょう。

これはデザートローズ。 ミネラル分の多い湖が干上がると、硫酸カルシウムや硫酸バリウムなどが結晶化し、 にょきにょきとこのような形になります。 お土産物屋で売っているのは、これを手頃な大きさにかち割ったもの。 現物は石と同じでずっしり重いです。

ドゥーズの手前で通過したオアシスの街。

サハラ砂漠の東端に着きました。 砂漠とはすごい世界ですね。僕たちも未経験でした。 砂の海とはよく言ったもので、水の海と同じく、 何も持たずに入り込んだら長くは生きて行けません。 しかし、その恐怖を上回る美しさがあるのですよ。そしてこの静寂。日本では味わえないものです。

時にはこうした奇妙な形の岩山もあります。まさしく 創造主の力を身近に感じられる場所です。

左のテロリストかスターウォーズに出て来る宇宙人みたいなのは僕です。 ここで初めてラクダに乗りました。なかなか乗り心地のいいものですね。 これで旅をするのはどんな感じなのでしょう。

おっと、仕事もしていますよ。これはショルバ。トマトをベースにハリッサを効かせたスパイシーなスープ。 レモンをたっぷり絞って頂きます。海沿いでは魚介類で出汁を取ったものも楽しめました。 シンプルな味わいですが、食欲が出ますよ。

この春巻きを思わせる料理はドワ・ドゥ・ファトマ(Douight de Fatma)。 確かに食感は春巻きそっくりで、先にご紹介したブリックのバリエーションともいえる味です。 レモンを絞ってさっぱり食べるもよし。ハリッサを付けてスパイシーに楽しむのもまたよし。

プレートメニューにあったチュニジアンタジンを注文したら、こんな風にサーブされてきました。 右側に長方形で3枚並んでいるのがタジンです。 食感と言い味と言い、スパイシーなキッシュそのもの。モロッコのタジンとはすべての点で全く違いますね。しかしフロアの人に「どうしてモロッコのタジンと違うのですか?」と訊いても「これが本物だ!」で以上終了。ん〜・・・

ドゥーズを出発した4WDは進路を東に取り、海沿いの街ガベスへ。 その手前のマトマタは低い丘の連なる荒野です。

ここでドライバーがベルベル人の住居に立ち寄ってくれました。
住居と言っても建物ではなく、人工的な洞窟なので、外からは知らないと分かりません。

部屋の中にお邪魔させて頂きました。 ここはキッチン。 室内は狭いながらも居心地が良かったです。 電気、ガス、水道、電話はありませんけど、日本とは違った豊かな生活がありました。

4WDは帰路につき、海岸線を北上してスファックスへ。 ここのメディナもかなり大きく活気に満ちています。

せっかく海沿いに来たのですから、ここではシーフードを楽しみましょう。 僕らが入った食堂では自分で選んだ魚を調理してくれます。 どれにしようかと迷っていたら、店のご主人が選んでくれました。チュニジアの人ってなんかラブリーなんですよね。

肉料理が多いアラブ圏で焼き魚! というのおつなものです。
丸焼きですが、皆さん器用に骨を外しながら召し上がっていました。

スファックスからローマ時代のコロセウムが残る街、エルジェムヘ向かう途中、 僕たちが乗る4WDが当て逃げされ、キレたドライバーがカーチェイスを始めるという事件に巻き込まれましたが
(詳しくはブログで『第5回取材旅行』を検索してみて下さい)、何とか無事にたどり着けました。
やれやれ・・・

ここのコロセウムは保存状態がとてもよく、ローマのものよりきれいに形が残っています。

人気のない回廊を歩いていると、 死闘を演じるブルース・リーとチャック・ノリスに出くわしそうです。あちょ〜っ!

いろいろありましたが、僕たちは無事にチュニジア第3の都市スースに着きました。 トライバーとはここでお別れ。僕たちの単独行動再開です。

スースのメディナもシディ・ブ・サイドのように白壁とチュニジアンブルーのドアや窓枠が美しい。 どこもこうして絵になります。

メディナの内部はこうした路地がくねくねと続き、5分も経たずして道に迷ってしまいます。 それがまた楽しい。

観光名所ではありませんが、こうした半分落書きのような絵を見て歩くのも楽しいですよ。 小さなカフェの前には水たばこを吸うユーモラスなラクダのイラストが。

メディナの中にはガイドブックやネットでは見つからない宿が点在しています。 中はどんな風なんだろう? ま、英語はまず通じないだろうな。ちょっと泊ってみたい気がします。

時計は間もなくお昼。 お腹が空いてきたところで雰囲気のいいレストランがありました。 入ってみましょう。

うまいローカル食堂を見つけるなら路地裏に限ります。 旅人の野生の勘は鈍っていませんでした。 ここのクスクスは絶品ですよ。ボリュームも満点。 ちなみにこの器はチュニジアの定番なのかな?  他の店でもしばしば見かけました。 運べるものなら、ととら亭で使う分を買って帰りたいのですけどね。

ちょっとお店のグレードを上げれば、こんな料理も楽しめます。
スパイシーな前菜の盛り合わせと、ラムの煮込みのクーシャ。
アラブ系の料理は油っぽくなく、スパイスの使い方も上品なのでとても美味しいですね。 野菜がたっぷりなところもヘルシー。

迷いながらの帰り道。名もない路地裏が絵になります。 時間があったらこの街でもゆっくりしたいですね。

最後にご紹介する料理はドネルケバブ!  いえ、アラブ圏ではシャワルマと呼びます。 オスマン帝国に占領されていた経緯から、今でもアラブ系とトルコ系の関係は微妙なところがありますが、 不思議なことに、相手が嫌いでも、料理までは否定しないところが人間なのですね。 しかし、相手の言葉を使うのは癪に障る。で、まったく同じ料理でも名前が変わっているのでしょう。

スースからチュニスへの戻りは鉄道で。 ここはこじんまりしたスース駅です。チケットカウンターは英語が通じました。

鉄道のダイヤは安定しており、列車もこの通り近代的。 当然、乗り心地は良かったですよ。車窓を流れる風景だけではなく、車内の乗客の様子を見ているのも楽しい。

出発前は治安のことがちょっと心配でしたが、 無事に取材を終え、僕たちはチュニス・カルタゴ国際空港へ戻ってまいりました。
自然、文化、そして料理。なにかと盛り沢山だった今回の旅。 中でも一番印象に残ったのは、初めて会った外国人に熱く理想を語るチュニジア人の姿でした。 「日本は凄いな!ずっと前から民主主義の国だろう? われわれは今、その民主主義を学んでいるんだ!」 ジャスミン革命から3年。まだまだ課題は山積されているとはいえ、 遠くない未来に、彼らは自らの運命を自ら決める権利を勝ち取るだろう。 力強く手を握られた僕は、そう感ぜずにはいられませんでした。

See you on the next trip!!

 

取材の結果はこちらをご覧下さい。→ チュニジア料理特集

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